ACO Artistic Director Richard Tognetti and Principal Violin Satu Vänskä standing in front of a taxi in Japan

リチャード・トネッティ&サトゥ・ヴァンスカ 日本への思い

インタビュー:キャサリン・フニョー

リチャード・トネッティとサトゥ・ヴァンスカは、音楽を介してはもちろん、サーフィンを通して、そして夫婦としても、強い絆で結ばれています。お二人の人生は、日本への深い愛を通奏低音に、より豊かになっていると言えそうです。
2023年10月の東京ツアーを前に、お二人にインタビューしました。


お二人とも日本に造詣が深いと聞きました。ですが、それぞれの日本との歴史やつながりはまったく異なりますね。お二人にとって「日本」とは?

リチャード: 文化と自然ですね。「文化を大切にする態度」とでもいいましょうか。ツアー中は慌ただしく、思うように日本をじっくり見る機会がありません。長野、九州、福岡、大阪、西海岸に少し行った程度。ですから「日本を知っている」とはとても言えません。もっと深く知りたいし、旅行者としても広く旅をしたい ― ずっとそう思ってきました。

北海道にはよく行くんです。ニセコにアパートがあるので。それで、ニセコを訪れるたびにコンサートを開いています。地元の方々に感謝の気持ちをこめて、演奏します。みなさんとても親切で、礼儀がある。日本の方々には深みやニュアンスがありますね。そう、日本はニュアンスのある国です。

日本の儀式的な側面にも魅惑を感じます。もしかしたら、日本のクラシック・ファンも、そういった理由でクラシックコンサートに足を運ぶのかも知れませんね。格式があり、敬意を表するセレモニー的な雰囲気に惹かれているかも知れません。

ACOの日本コンサートは、世界各地での公演の中でも、ほんとうに思い出深いんです。

 

サトゥ: 日本は私の「ふるさと」です。日本で生まれ、育ちましたから。故郷といえるところはいくつもあるんですが、結局、日本に一番よく帰りますね。

日本との関係には、変化もあります。子どものころの「ふるさと」から、大人になってからの「故郷」の感覚。仕事で日本に戻るようになってからは、昔のネットワークを通じて新たな友人ができました。

血縁のあるフィンランドとは違い、日本では家族のつながりが焦点です。今、住んでいるオーストラリアは移民の国。外国人として移住したわけですが、日本は私の育った国。「私はブロンドの日本人の女の子なんだ」と思って育ちました。そういう意味でも、日本で過ごした幼少期は重要だったと思っています。
いろいろな意味で、日本文化は、私のよりどころなんです。

 

日本で幼少期を過ごされたということですが、人との関わり方において、どんな影響があったと思いますか。実は、私にも娘が3人いるんですが、娘たちを日本の小学校に通わせた際、尊敬の念や人に対する態度などの教え方が、オーストラリアと全然違う! と思いました。

サトゥ:はい、実は大人になってから、日本人の友人によく言われるんです。人との接し方や日本人間の「空気の読み方」が日本人らしいと。例えば、人と人との間に隠されたメッセージを読み取るとか。日本人のコミュニケーションはとても特殊です。感情の襞がさまざまにあり、それをあまりはっきりさせずに表現し、しかしメッセージはそこにある。私はそのような接し方についてよくコメントをもらうんですが、とても洗練された素敵なコミュニケーションの方法だと思っていて、気に入っているんです。

 

 

とても微妙なやりとりですよね。いつも人の発する合図を拾っている感じ。コミュニケーションで人間関係という生地を織ってるみたいに。

サトゥ:その通りですね。話し手の意見がどこにあるのか、どう解釈したらいいのか、布を織るみたいに行ったり来たりする感じ。直截に意見を述べる人は少ないですしね。ボディ・ランゲージもそうですね。

 

 

オーストラリアにはないボディランゲージの繊細さがあるように思います。

サトゥ:同感です。

 

リチャード 「幼い頃から多くの日本人と接し、それが私の日本とのつながりになったんです。」
サトゥ 「四国は生まれ故郷なので、特にお遍路に愛着があります。」

 

リチャード、初めて日本を訪れたのはいつですか。

リチャード:1992年にACOと訪日しました。

ですが、実を言うと、私が初期にヴァイオリンを習っていた先生は日本人だったんです。私はニュー・サウス・ウェールズ州のウーロンゴンにて、オーストラリアのスズキ・メソッドの創始者であるハロルド&ナディア・ブリセンデン夫妻のもとでスズキ・メソッドを学びました。夫妻がピアニストのサワ・ヒロコ氏を連れてきたんです。夫のウィリアム・プリムローズ氏も一緒にね。

当時、スズキの先生たちは宣教師のようでした。サワ先生もウーロンゴンに派遣されていたんです。厳しく、素晴らしい先生でした。そしてウィリアム・プリムローズがやってきた。史上最高のヴィオラ奏者ですよ! ウーロンゴンで個人レッスンをされていたので、私も生徒になりました。

ヒロコ先生からは、のちにアリス・ワテン氏に就く前に、薫陶を受けました。レッスン中にウィリアムを部屋に呼んで、何時間でもレッスンをしてくれた。9歳くらいのときのことです。

だから、ヒロコ先生を通じて、日本とすごいつながりがあったんですよね。ウィリアム・プリムローズには日本人の生徒がたくさんいて、私の実家に泊まりに来たりしていました。

お二人は家から車で2分ほどのところに住んでいらしたので、よく会いましたし、日本人がうちにホームステイに来ることもありました。幼い頃から多くの日本人と接し、それが私の日本とのつながりになったんです。

 

 

日本で一番恋しいものは?

リチャード&サトゥ:食べもの。自然。人々。日本人と日本文化ですね。

 

サトゥ:ある意味「すぐにそこにある文化」だと感じています。すぐに体感できて、特徴が手に取るようにわかる。空気を嗅ぐと、すべての記憶が瞬時に蘇る。そういうものに囲まれていると、「ここが故郷だ」と感じるんです。

 

リチャード:それに雪! 雪が多いからこそ、日本でしか味わえない極寒の冬があります。降雪量は尋常ではないから、人々も変わりますよね。季節によって人々の様子や活動が変わるのを見るのが好きなんです。春の花の季節にも北海道に行きましたが、様子がかなり違いました。そういった変化をまた味わいたいですね。

実は私がほんとうに恋しいのは、日本の「エキゾチシズム」なんです。よく「多文化主義」について言われますが、日本が日本であることの何が悪いんでしょう? 多文化主義の欧米では、どこでも多文化であるべきだという非常に傲慢な考え方がある。私のこんな考えは古いでしょうね。でも、日本が異国情緒に溢れているからこそ、甚く心を奪われるんです。


サトゥ:私は田舎を散歩するのが大好きです。四国は生まれ故郷なので、特にお遍路に愛着があります。北海道にはスキーに行くので、北海道の田舎にも魅了されます。それから琵琶湖や京都周辺の山々も、私にはとても身近な風景なんです。

 

 

過去に共演した日本のミュージシャンは?

サトゥ:ハープ奏者の吉野直子さん、ギタリストの大萩(おおはぎ)康司(やすじ)さんと一緒に演奏したことがあります。


「名誉日本人」のフルート奏者、エマニュエル・パユとも共演しました。日本で何度も一緒にツアーを組んでいますが、いい思い出がたくさんありますね。

 

リチャード:最近は、優れた電子ミュージシャンであり楽曲制作も手掛けているハヤシヨシノリも聴いています。ハヤシはとても興味深いことをやっていて、彼の音楽の奥深さを何より高く評価しています。確かクラシックの女性作曲家、野澤美香に師事していたと思う。クラシック出身で電子音楽に入ったミュージシャンですね。将来はコラボレーションできたらと思っています。

 


好きな日本人の作曲家は?

リチャード:もちろん武満徹。日本公演で「黒い雨」を演奏したこともありますよ。また、当団の後藤和子(あいこ)さんにより、佐藤聰明(そうめい)を知りました。和子さんがよく弾いていた美しい曲が印象に残っています。佐藤が日本の雅楽、ヨーロッパのクラシックや電子音楽をミックスするところにも魅せられます。

 

サトゥ 「日本のコンサートでは、沈黙の質が違いますね。」
リチャード 「演奏者は拍手喝采を切望するのではなく、静寂をより意識するようになります。 」

 

オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、日本など、さまざまな国での演奏会を比べると、どのように違いますか。

サトゥ:日本のお客さんは勉強したがりますね。普通はコンサートに来る前にすでにリサーチしている。「スーパー・ファンダム」もそこからきていると思う。下調べしてあるから、感動もひとしおですよね。これは日本独特のものだと思っています。何かをするときはいつも、みんなリサーチして臨む。

リチャード:私にとって最も印象深かった演奏会は、日本公演です。
ACOで唯一、気をつけたいと思っているのは、『ショーマンシップ(演出効果)』という姿勢を排除することです。私はもっと日本の精神に浸り、それに従ってプログラムを組みたいんです。

数年前、サトゥが教えてくれたことですが、たとえば日本のレストランに入って、モダン・ジャズが流れていたら ― ただし、あまり前衛的なものではなく(ビーバップではなく) ― 料理はかなり本格的と思っていい、という指摘。そしてそれはいつも当たってるんです。ある時、北海道の千歳空港で、吹雪で飛行機が欠航したんです。それでごく普通の空港ホテルに泊まったんですが、ウイスキー・バーに入ったら、バーテンが蝶ネクタイをしていて、グレン・グールドとオスカー・ピーターソンをかけていた。

 

サトゥ:そう。壁にレコードがたくさん掛かっていて。こういうときに「日本っていいな」と思うんです。先ほどの日本の何が恋しいかっていう質問に戻るんですけど、そこです。日本では、どんな小さなことにも全力を注ぐ。理想に誠実なんです。人は自分のことだけを話すのではなく、自分のしていることについて話す。常に『自分より大きなものは何か』ということなんです。そしてその仕事に誇りを持っている。

 

 

そう、仕事の大小にかかわらず、重要であろうとなかろうと、日本ではみんな自分の仕事に誇りを持っていますね。

リチャード&サトゥ:まさにそうですね。

 

 

オーストラリアやヨーロッパ、アメリカと比べ、オーケストラと聴衆のつながりやエモーションの度合いが、日本ではどう異なるのか気になります。コンサートでの演奏者と聴衆の対話の感覚は違うのでしょうか。

サトゥ:沈黙の質が違いますね。

 

リチャード:アメリカ経由で日本に入ると、最初はちょっとびっくりするんです。アメリカでは、その時その時でスタンディングオベーションが起こるからね。頻繁にあるから「本気で喝采してるのかな?」って思ったりもする。だから日本では、控えめな反応に「お客さんとつながれなかったかな・・・?」と思うこともあるけど、実際は逆なんです。だから拍手喝采を切望するのではなく、静寂をより意識するようになります。
80年代にロックンロール・バンドをやっていた友人がいるんですが、彼らも日本で同じ経験をしています。レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドやミッドナイト・オイルもね。

 

そうですね。だからこそ、返ってくる反応は、とても心のこもったものだと想像できます。

リチャード:ほんとうにそうです。

サトゥ:それに、日本人は非常にニッチなので、日本ではさまざまなテイストのものが手に入ります。目利きが多い国ですね。

 

 

確かに目利きだし、好きなものに対してとても情熱的ですよね。10月の東京公演が楽しみですね! 日本のACOファンにもうすぐ会えますよ。

リチャード&サトゥ:ものすごく楽しみにしています!

 

(翻訳、校正:大野唱子)

 

コンサート情報はこちらから